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東京にある銀座以外にも銀座という名前がついている場所はいっぱいありますが、な、な、なんと「銀座」の名前の「発祥」が堺だというんです。
確かに、堺銀座通り、という通りが残ってはいますが、まったく海外ブランドの旗艦店もなければ、目が飛び出るほどの地価でもありません。
いったいなぜなんでしょうか。
堺銀座通り商店街は東西にとおっています。西の入り口は、堺銀座西、と書いていました。
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そもそも銀座とは?
銀座と聞けば、東京にある銀座をイメージする人は多いでしょう。高級ブランドが集まり、高級料理店が軒を連ね、どう見ても勝ち組の人が歩く街、とまでいうと言い過ぎかもしれませんが、イメージは遠からずでしょう。
ただ、元々は通貨として使われていた銀貨を作る鋳造所につけられた名前でした。
ですので、銀座や○○銀座と名がついている場所は、昔は銀貨を作っていたということになります。
知りませんでした。
金座はあるの?
あります。金を作っていた場所は金座といわれていましたが、銀座ほど地名としては残っていません。
ちなみに日本銀行の本店の場所はもともと金座だったみたいです。
知りませんでした。
堺市が銀座の発祥の地(諸説あり)
全国の地名に銀座が含まれる場所は600近くあるそうです。また、○○銀座という名前がついている商店街は345件(TV東京調べ、平成16年)もあるそうです。
思った以上の数ですね。それだけ全国に銀の鋳造所があったということですね。
さて、なにゆえ大阪府は堺が銀座の発祥の地になったかという点ですが、市役所のページにはこうあります。
慶長六年(1601)に銀貨を作る鋳造所につけられたのが最初で、その銀貨を日本ではじめて作ったのが堺の人たちです。堺では銀の売買、銀細工をする人たちが、各地から荒銀を買い集め加工して売っていました。
徳川家康は貨幣制度を確立するため、伏見に鋳造所をつくり、その技術長に堺の湯浅作兵衛を選びました。
灰吹銀というものを扱っていた南錂座という鋳造所が堺にあったのですが、その後「銀座」という名前が付けられます。
その銀座という名前が一気に全国に広がっていきました。
銀座発祥については諸説あるようですが、当時外国の人との貿易も盛んであった堺にて、通貨に使用された銀の製造技術がいち早く発展したのは、納得です。
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